Saint-Ouen, 2001
エマニュエル・ピエロが自身の写真家としてのアトリエを建てる。自然天窓から照明されてアトリエに適し、シューティングに柔軟に対応する場所となる。
ドムスの伝統的な建築を思わせる展望場所をつくり、5mの高さに板石に穴を開けた。これはまた、現在の「google earth」の視点とも一致するものである。
設備の柔軟性と利用できる撮影ショットの角度の多さによる撮影場所の可塑性が、被写体に対する包括的なアプローチを可能にしている。
Saint – Ouenに立ち寄る機会のあった人々は皆、エマニュエルが季節に合わせ写真のために演出した庭にリラックスしにくることが出来る。
エマニュエル・ピエロ
鶏使い、てんとう虫の飼育者、時には庭師、グルメとシェフ...エマニュエル・ピエロは様々な才能を兼ね備えているようだ。
しかし、幼い頃からマエストロは写真で有名になった。少年時代には、結婚式やほろ酔いの避暑客、あさましい三面記事などのエピナル写真を「Liberté de l’Est」という雑誌のために撮影した。彼の好奇心に溢れた目は何事も見落さない。
写真家の教育を受けこれの資格を取得後、メッツの美術学校にて勉強し、エマニュエル・ピエロはニューヨークでジェームス・ヲクジクのそばで経験を積む。その時以降、オブジェの演出に力を入れるようになり、難しく、多くの場合は退屈な静物画の撮影に身を投じるようになる。毎日の取るに足らない事物の写真を撮る(…うとうと…)が、その事物から新しい詩情を引き出すことに成功している(…オ-…)。その成果は特別な素材とコンセプトと色の組み合わせによる(パチパチ)。
フランスに帰国後、「Vu」というエージェンスに加わり、自身の写真家としてのアトリエを建てた。女性誌や、あるいは「Libération」や「Le Monde」(前者は自身の中に眠る女性的な面を明るみに出すのが好きだから、後者は小さい頃からそれぞれを読んできたから)、「Tecknikart」(彼自身が破壊的でもあるため)、そして「Philosophie magazine」や「 Psycho」などの雑誌と協力して働いた。広告業界(Orange, Weston, Shu Uemura, Martini, …)も彼の写真を求めた。同時期、ヴィルヌーヴダスクの街は象徴となる写真を依頼し、彼の写真だけが「Gallimard」や「Albin」、「Balland」などの出版社のベストセラーの表紙を飾っていた。
今日、彼の目は様々な話をつむぎ続けている。エマニュエル・ピエロが芸術の腕に今も磨きをかけてるSaint-Ouenのアトリエには、広告業界の人々や編集者、グラフィックデザイナー、そしてあらゆる方面からの出資者が、場の主が写真撮影に勤しんでいる間に、庭で日光浴をするために立ち寄っている。現実を面白みをもって捉えるエマニュエル・ピエロの視線は、彼の同時代人の網膜にシュルレアリスム的な変形を映す。その変形を見ることは同時代の人々にとってなんら支障がないようである。なぜなら、ストリンドベリ言ったように「人生は巨大な(自己)嘲笑である」のだから。